香月泰男「水鏡」鑑賞レポート  読みにくい場合は,表示で文字サイズを大きくしてご覧ください。

鑑賞教育指導者研修会でグループワークをした作品の実践レポートです。
同じグループだった方で,実践した方がいましたら,是非,掲示板で意見交換をしましょう!

【 授 業 】

 なかなか難しい実践になりました。研修のグループワークでの設定どおり,2年生で実施。
研修で配布された絵のカラーコピーをデジカメで撮り,後ろの生徒も見やすいように実物より大きめに拡大印刷して,
鑑賞しました。授業の流れは次の通り。

  @まず,第一印象を書く。
  A気になるところを書き出し発表する。
  B絵の近くに集まり,よく観察しながら対話型鑑賞する。
  C自分の解釈を文で表す。


 基本はこの流れで,1時間扱いでやってみました。
しかし,始めてみると,思ったより意見が出ずにあせりました。
投げかけが難しかったのか,もともと発表などが苦手だったのもあるのか,少しの意見しか
出ませんでした。そこで,教師からの絵に関する情報を与え,それを元に考えてもら
おうとしました。しかし,説明が多くなると対話は難しくなり,あまり深まらないまま終わってし
まったようにも感じます。学力差が大きいという学年の実態への配慮や支援が足りなかったの
かも知れません。
 そんな中,最後にやったあるクラスだけ,反応が少し違いました。
絵を見せただけで,周りの友達どおしで「あれは○○だ」「いや,○○じゃないの?」と話している声が
聞こえたので,絵の近くに集まらせずに,前に自由,対話が生まれました。昭和17年に描かれたことは,
最後に伝えました。しかし,ノーヒントで戦争のイメージが出てきた生徒もいました。

生徒の実態によって,鑑賞の進め方もかなり変えないといけませんね。難しい。


【生徒の解釈の一部(ここまで考えられた生徒もいました。)】


作品(研修当日配布されたコピーより・解像度を落としています。)

・タイトルが「水鏡」なのに,少年らしい人物の顔が写っていない。幽霊なのか天使なのか,
 そもそも人間じゃないのか微妙な作品だが,天使として考えると,あの器の底から人間界を
 見ていると考えられる。それで,戦争が始まって植物が枯れて,器が壊れたとか・・・。
 器が壊れた→人間界が見られなくなる→人間界の破滅,みたいな感じを作者は想像して
 描いたと思う。

・私は,この絵が,人間か幽霊か分からないものが未知の世界に続いているような不思議な箱に
 飛び込みそうな感じに見えます。その世界とは,明るく楽しく平和な世界ではなく,暗く悲しく,
 まるで闇・地獄のような世界に思えました。見れば見るほどいろいろ見えて面白い絵だなぁ,
 と,思いました。 

・この絵はきっと戦争中に描かれた絵だと思います。背景の植物が枯れているのは,戦争への恐怖,
 市への恐怖の気持ちの表れだと思います。この作者は,これから始まる戦争での死の恐怖の大きさ
 を,この絵に表したのだと思います。 

・戦争中の少年を描いたもので,この少年は多分,戦争で死んでしまった少年を描いたのではないか
 と思う。入れ物が壊れているのは少年の悲しさを表し,枯れている植物は「命」を表すのではないか
 と考えた。水の暗さは自分の未来を見ているのかな,と思った。少年はずっと生きたかったのに,
 自分の未来がないことに悲しんでいるのではないか。この作者や少年の願いは,もっと幸せな明るい
 未来を望んでいるのだと思う。


            ※ここまでのクラスは,戦争というキーワードを最後まで出さずに進めた

・この子どもは,きっと感情のない顔をしていると思う。戦争で父親や身内がいなくなって独りぼっち
 になってしまった少年を描いたと思う。水槽の青と黒の部分は,その「子どもの世界の空の色」を表
 していると思う。戦争に対する「憎しみ」という感情で黒く深い色に染まった空を。 

・男の子は,もう死んでしまっていて,高い空から日本を覗いているんだと思う。男の子は戦争の勝ち
 負けではなくて,戦争によってたくさんの人が死んでしまう未来を予想して(枯れ葉は日本の未来を
 意味する),「戦争はやめて欲しい。」と願っているんだと思う。

あの箱?の切れ目は,日本の未来に希望の光が差すように,男の子が切ったんだと思う。男の子は,
 これからの日本を見守っているのかな?と思った。 

・一番気になったのは,水と男の子。最初,男の子の涙かと思ったが,あれは男の子の「命」だと感じま
 した。男の子の命はあの暗い青の水の量だと思う。だから,男の子の片腕は透明で,あの切れ目の部分
 から「命」が流れてしまう・・・。残りの普通の水は他の人の命。作者はこれから世界は多くの命を失うだ
 ろうという前兆を表したのだと思う。枯れている木ははすでに失われた「命」。
 この絵を見ていると,だんだん怖くなってしまった。
   

・たぶん何か悲しいことがあって,あえて少年の顔をはっきり描かなかったのは,見ている人に少年の
 気持ちを考えて欲しかったからだと思いました。


※多くの意見は「少年または作者の悲しみ」「戦争の悲劇」というものだった。

※クラスによって戦争のキーワードを早めに出したところは,深まりきらなかったような気がします。

※「気になった部分」では,少年や水,風呂のような器,切れ目,枯れ草など,多くの意見が出た。
 よく観察はできたと思うが,
自分で考える,意見を構築する力に差が出たような気がする。


【反省・課題】

「戦争」をテーマに,日本の悲惨な歴史を芸術家がどう表現したか,について,何点か比較し
 ながら鑑賞し,相違点を話し合ってから,「水鏡」を見せると,作者の意図に迫れるかも知れ
 ない。
事前に道徳などで戦争をテーマにした内容を扱っておいたり,戦争の体験談なども資料として
 配付するなどしても,なお,広がる可能性もある。(知識の補充の必要性)

・研修では,学習の目標を,「自分なりの解釈を作る。」としたが,そこに至るまでの訓練は必要だと
 感じた。今回のように,学力差が大きい場合,慣れていないと自分で解釈を作れない生徒もでてくる。
 つまり,表現活動で,「自由なテーマで描きなさい。」と言っても,C評価になってしまう生徒にとっては,
 苦痛であるのと同じだ。解釈の手立てや,観点の絞り込みが必要で,教師側の十分な教材研究が必要
 だと感じた。


・対話型鑑賞法は,やはり人数の問題があることを実感した。ひとクラス全員一斉では,発表しずらかったり,そうで
 なくても,最後まで発表できない生徒もでてしまう。人数は多くても20人以内の方が,生徒の表情も見ながら進め
 られる
と思う。(私の力が無いせいかもしれないが・・・。)そうでないと,普段の授業で対話型をするならば,かなり工
 夫が必要になる
。あるいは,対話型とは別の,より効果的な授業法を開拓する必要があるだろう。


【授業を終えての雑感】

 思えば,東京の研修は,最初から「対話型」ありき,という感が強かったような気がする。
 対話型は,アメリア・アレナスが提唱した,鑑賞法の一つに過ぎない。過信は禁物だと,最近は思い始めている。
 研修でも,この「水鏡」という作品が,対話型鑑賞に向いているのかどうかを,まず,検討すべきだったかも知
 れない。
評価の難しさもある。研修で評価の問題がほとんど無かったのも,今思えば腑に落ちない問題だ。
 私たちのグループは「分からないなら分からないで,その疑問を持ったまま大人になってもいいのでは。」という
 意見に,ほとんどがうなずき,その場で私も賛同した。もちろん,そういうことも必要だからだ。だが,実際に授業となった
 場合,そうなった生徒の評価は,A?B?C?。解釈を作れなかったのだから「C」となってしまうのではないか。
 この意見が許されるのは,授業でない美術館での個人的な鑑賞の場合なのでは・・・?。
 「対話型」はもともと学校の授業用に開発された手法ではない。だから,考え方や手法はとても興味深いが,
 そのまま教室に持ち込むのは危険なのでは
ないかと思う。検討の余地は,まだまだありそうだ。
 (かくいう私も,始めて「対話型」を知ったときには,授業で使える有効な手段だと感じ,地元美術館にアレナスが講演に
 来たときは,心躍らせ行った方であるから,偉そうには言えないのだが・・・・・。)
 まだまだ,いろんな勉強が必要そうです・・・・・。


以上,報告でした。ご感想お待ちしております。