TOPIC 元気が出る言葉

 各学校で配布された「先輩教師からのメッセージ −小・中学校編−」に掲載されていた文章です。
 図工美術教育に対して重要なメッセージが込められているように感じましたので,
 紹介かたがた,寄稿者ご本人の許可を得て掲載させて頂きます。


 持ち続けたいもの

「願いを形にしよう」と題した五年生全児童の作品が廊下に掲示されていた。担任に聞いたところ、粘土の作品は壊れやすく家に持ち帰っても保存しづらいことから、写真に撮り、作ったときの思いを添え最後の感想も加えてA4サイズ一枚にまとめ掲示したということだった。

夏休み前の全校集会はこの話をしようと心に決めた。その晩遅く、天袋に仕舞っておいたダンボールの箱を取り出した。二十数年仕舞ったまま、いや、家の建替え時に移動した時にも中は開けていないので、正確には四十数年ぶりになる。ダンボールは劣化して引き出そうとすると破れてしまったが私の小・中学校時代の作品は無事保存されていたプリントやテスト類,そしてノートは変色してセピア色になり、触れるとぼろぼろと崩れそうであったが、絵や習字の作品は当時とほとんど変わらない状態で出てきた。それらを見ていると、四十数年前にタイムスリップしたかのよう。不思議なもので、今まで忘れていたその時の思いや惑い・感動がよみがえり、私の心は小学生時代に戻っていた。深夜遅くまで自分の過去の作品一つ一つに見入っていた。

全校集会では、五年生の掲示物の話から、私の小学校時代の作品を紹介して「自分の宝物を残して、世界にたった一つしかない宝箱を作ろう。国語や算数でも、図工やその他の教科でも、簡単に捨ててしまえるものではなく、いつまでも残しておきたいものを、一つでも多く仕上げよう」と呼びかけた。
 「私の宝箱」を見直すと、子どもの気持ちがよく分かる。小中学校時代の膨大な作品から今ある物を選んで残したのは当時の私自身である。誤字脱字があったり拙い物であったりで、決して優秀な誇れる物ではない。苦労して取り組み悩みながらも自分で決めたことや、こつこつ努力したことが分かる物ばかりである。ある書道展に出品するために何十枚も練習したが、字配りがうまくいかず、不本意ながら指導者のお手本を写した作品が出品されたことがあった。賞に入った唯一の条幅である。しばらく家に飾ったが、私の宝箱には残らなかった。

私には苦い経験がある。教職に就いてまだ十年は経っていない頃、展覧会に出す版画の指導に夢中になったことがある。図工の指導は苦手だったが、先輩のように入選作品をたくさん出したいと思ったのである。題材を吟味し彫り方も研究して、事細かな指示をして制作の指導にあたった。その結果多数入選し、上位の賞に入った作品もあり、私自身は大いに満足だった。記念に手元に残したいと思い拒否されると予想しながら版木を学校に置いておけないかと頼んだところ、いとも簡単に「いらないからあげる。作品もいいよ」と言われた。そう答えた児童が複数いたことに愕然とした。あれだけ時間をかけて制作したのに児童には作品に対する愛着はなかった。言われるとおりに彫っただけの作品でしかなかったのである。以後、図工に限らずどの教科でも児童の思いや興味関心を大切にし,授業のねらい達成を目指しながら一人一人の自己実現に繋がるような指導を心がけ努力してきたつもりであるが、今振返るとどれも未熟で、児童が持ち続けたいものを残せたのか、恥ずかしい限りである。

 教師の都合や思い込みでなく、児童にとって今何が大切で、必要なことは何かを見極めて授業に取り組 むことが、児童の宝物を増やすことになるだろう。

 全校集会の最後に「五年生は作品を返してもらったら、捨ててしまうかな」と聞いたら、首を大きく横に振っていた。持ち続けてくれると信じたい。

                       宇都宮市立明保小学校 橋久子

                  ※ご本人の許可を得て掲載しています。