■第2日目(8/8)

講演「創造的行為としての観賞」 文科省調査官 奥村高明先生
事例紹介@「学校と美術館をつなぐ学習教材〜作成から活用を通して」
                  神戸市立小磯記念美術館指導主事 池田真規子先生
事例紹介A「大原美術館 教育普及活動の基礎」   大原美術館 柳沢 秀行氏
事例紹介B「美術館と学校の連携 広げるシステム作りと深めるプログラムづくり」 
   埼玉県近代美術館 田中 晃氏、さいたま市立大牧小学校教諭 田島 均先生
・グループワークA 班に分かれてそれぞれ違った作品の鑑賞プログラムづくり

講演「創造的行為としての観賞」 文科省調査官 奥村高明先生

 この講演の詳細については、初等教育資料8月号に掲載されている、奥村先生の記事をご覧ください。
その中身をより具体的にお話くださったのが、本公演です。事例なども踏まえながら、ポイントを絞ってお話しくださいました。
 奥村先生も、子どもの鑑賞について、子どもの目線で見ることの大切さを説いていました。「鑑賞は一方的な価値観を押し
つけるものではなく、自分で感じ、考えてそこから新しい意味や美しさを見つける行為である。つまり、自分の中にある
感覚を自分で発見することは嬉しいものだ。」
という話には、深く共感しました。
 と、同時に、先生の話を聞きながら、思ったことがあります。自分で鑑賞するときのことです。
 なんとなく、自分たちが、まずいい意味での鑑賞者になる必要があるような気がしてなりませんでした。
私たちの五感はまだ大丈夫ですか?美術館に行って学ばされるのは、生徒ではなく、むしろ先生の方なのかも知れません。
私たち自身が、子どもの反応に敏感になったり作品に対して素直に見られるような感覚を研ぎすましたりすることで、
子どもにもより豊かな鑑賞教育ができるのではないでしょうか。それが、表現の指導にも生きるはずです。
優れた鑑賞者は、優れた表現者にもなれるはず。
資料の最後にも書いてあることから引用します。、
「指導要領には『表現及び鑑賞の活動をとおして、つくりだす喜びを味わう。』とある。<表現及び鑑賞>は、表現と鑑賞が
一体になって働き合うことを述べている。<活動をとおして>は、表現したものや鑑賞の対象が目的ではなく、資質や能力を
育てることがねらいであることを述べている。<つくりだす>は、表現も鑑賞も創造的な行為であることを示している。」
 
つまり、鑑賞と表現を切り離すのではなく(ただ、この言い方をすると制作した作品の鑑賞だけでもよいという誤解を受けそうだが)
何を作ったか、や、何を鑑賞したかが大切なわけではない、ということです。どんな資質や能力が高まるのかをしっかり見据えて
授業をやっていく必要があるということです。肝に銘じたいと思います。

 とにかく、初等教育資料8月号を手に入れて、是非、読んで欲しい文章です。そして、考えて欲しい内容です。



事例紹介@「学校と美術館をつなぐ学習教材〜作成から活用を通して」
                       神戸市立小磯記念美術館指導主事 池田真規子先生

事例紹介A「大原美術館 教育普及活動の基礎」     大原美術館 柳沢 秀行氏
事例紹介B「美術館と学校の連携 広げるシステム作りと深めるプログラムづくり」 
        埼玉県近代美術館 田中 晃氏、さいたま市立大牧小学校教諭 田島 均先生

 事例紹介は、とても情報が多く、ここではまとめ切れませんので、各美術館のリンクを張っておきます。
感想は、先進的な取り組みをされているところは、本当によく取り組んでいます。そこで欠かせないのは、先生方の協力の
すごさです。美術館が呼びかけた研修会に大勢参加し、鑑賞プログラムを作ったり、時間外でも集まってその作業を進めたり、
と、熱意ある行動が起こした結果でもあります。見習わないといけませんね。もちろん、ここで紹介をした美術館だけではないでしょう。
(岡山も随分前から取り組んでいるのは有名な話です。)特に、大原美術館は斬新でした。

 ・小磯記念美術館  →  http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/koiso_museum/

 ・大原美術館     →  http://www.ohara.or.jp/200606/jp/menu.html

 ・埼玉県近代美術館 →  http://www.momas.jp/


●グループワークA 班に分かれてそれぞれ違った作品の鑑賞プログラムづくり

 それぞれの班で、学年などの設定が異なり、作品も異なる中、鑑賞プログラムづくりを行いました。
私が参加したFグループでは、三澤先生の進行の元、話し合いが進められていきました。
最初に全員から講話などについての感想を発表したときに、秋田県能代市の中学校の芹田先生がおっしゃていた、
「秋田は全国で一番自殺者の多い県、その中でも能代市は県内で一番自殺者の多い町。自殺の話題も日常的なくらい。
そんな町に、美術館が一つでもあったら、もしかしたら自殺は減るのかも知れないと思った。」
という話があまりにもインパクトが強く、心に残りました。(三澤先生も、ZENZOのメーリングリストで書かれていましたが・・・)
 私たちが鑑賞した作品は香月泰男の「水鏡」という作品です。ここに絵は載せられないのでイメージは沸きにくいかもしれませんが、
風呂桶(といっても一カ所欠けている)の中をのぞき込む少年がいて、水のそこは複雑な青、風呂桶の奥には枯れた植物が数本ある、
という作品です。なんとも不条理に満ちたこの絵は、様々な解釈ができる絵です。そこで、目標を「自分の考えを友達の意見を
聞くことで広めたり深めたりし、自分なりの解釈ができる」としました。対象は中学2年生なので、まずはどんな学年なのか、
学芸員さんから質問がありました。そんなことをしながら、方法的なことは、小グループで話し合ったので、各班で、いろいろな意見が出ました。
少年に自分を映して見させる、それぞれの気になるところを中心に読み解く、あるいはグループで話し合う、水に注目させる、
キャプションは隠しておく・・・・などなど、シンプルな作品なのに視点の多い作品でした。
まとめのところで、「子どもが答えを出せなかったら、疑問を持ったまま大人になってもいいのではないか、
個人の精一杯の答えで終わりにさせたい。」
という意見が、とても共感できました。
 最後に、美術館の連携について意見交換がありましたが、福岡県立美術館の川浪先生から、
「美術館を舞台にして、先生と学芸員で見る研究授業をまずやってみて、そこからそれぞれの課題について話し合っては・・・」
という提案が印象的でした。中学2年生はどんな学年なのか、先ほど質問も出たように、そうした情報は美術館はない。
だから、いきなり中学生に見せるんだけど何か無いですか?と聞かれても困る。
作品選択は、生徒の事情をよく知る先生にやって欲しい、ということです。
当然だと思います。授業として行うなら、授業者の意図を反映させなければ意味がありません。明確なねらいがあって、それに準ずる
鑑賞物を選択するのは当たり前ではないかと、私は思います。ただ、美術館が持っているのは作品だけではありません。
研究による「知」の宝庫です。そうした知識は、教えていただければ、授業の導きのヒントになると思うので、それは教えて頂きたいと
思いました。
 終わってしまえば、もう少し時間が欲しかった気もしました。
 最後に翌日の発表者になってしまいましたが・・・。
まあ、せっかく来たのだから、意見を言わないのはもったいないと、ちと話しすぎたかも・・・。
とても楽しい時間でした。
こういう研修、県単位でもやれば面白いと思うけどな〜。交流も深まるし、いいと思いませんか?
大変だけどやる価値は大いにあります。県立美術館でやりませんか?



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