■第3日目(8/7)

・講演「箱をひらく〜<美術/館/教育>のもとに その逆説と可能性〜」 
   首都大学東京システムデザイン学部教授 長田謙一先生

・グループワーク発表会 各班の、前日の話し合いのまとめ発表
  講評者:長田謙一先生、奥村高明先生、三澤一実先生(文教大学)

・講評 上記3人の先生から

・閉校式 研修修了証授与

講演「箱をひらく〜<美術/館/教育>のもとに その逆説と可能性〜」 
   首都大学東京システムデザイン学部教授 長田謙一先生


 この講演までのお話しは、どちらかいうと、学校の先生向けの話が多かった気がしました。この講演で、ようやく?、
美術館サイドに立った理論的なお話しが聞けました。思わずどきりとするような逆説(美術館教育への批判)を紹介され、
なぜそうしたことが起きるのかを説明。なるほど、思いながら聞いていると・・・時間が!というわけで、もう少し聞きたかったのも
ありましたが、何せ久々にいい意味で高度な講話だったので、考えるだけで精一杯でした。
 この講話の前に、美術館サイドの方との雑談で、こんな話が出ました。
最近は、美術館教育の名の下に、妙に子どもに媚びを売るような展覧会が増えている気がする、とういうもの。
確かに、地元を見ても、特に夏休みの企画展は、そういうものが多いような・・・。
しかし、美術館の本来の役割から考えても、美術品を保管し、研究し、展示する機関なのだから、
子どもに見せるためだけの企画まで考えるのは、ある意味、美術館の危機ではないか、ということです。
この考えには、どちらかというと賛成なところもあります。
というのも、どんな展覧会をやっているかが重要ではない、ということです。
それこそ逆説的にいえば、どんな作品がそこにあろうとも、鑑賞者がしっかりとした目線で鑑賞する態度が構築されていれば、
それが大切なのではないかと思うのです。そして、この力こそ、鑑賞教育の中で育成するものなのではないでしょうか。

そんなことを感じました。(私的意見が多くてすいません。)
 先生のお話で、心に残った言葉は、「自分がアートだと考える体験がないまま育つと、まわりの評価を鵜呑みにしてしまう。」

つまりは、自分で芸術に関する価値を見いだすことをしないといけないということ。このことは、まさに鑑賞教育で培われることでは
ないでしょうか。
鑑賞でよく行われる、「自分なりの作品への解釈を考える」ことなどが、「アートだと考える」体験でしょう。
ここには一方的な教授による鑑賞だけではなく、子どもの目線で考え、広げ、構築された解釈を含むと思います。
また、
「アートは一人一人が個々の感性で判断するものだからこそ、人間にとって価値がある。」
という言葉も残りました。



●グループワーク発表会 各班の、前日の話し合いのまとめ発表
  講評者:長田謙一先生、奥村高明先生、三澤一実先生(文教大学)
●講評 上記3人の先生から

 

 全8班からのグループワークの成果発表でした。それぞれ、作品も違い、対象学年などのコンセプトも違うので、
とても楽しく聞けました。小学校の先生方が、実演のなりきりをやってくれたのは、とても楽しかったです。ちょっと、
中学校は堅かったかな?とも思ってしまいました。まあ、それはそれでいいのですが・・・。
 作品によっていろんなアプローチの仕方があるなぁ、と思いました。とても参考になりました。
自分はFグループの発表をやらせていただいたのですが、持ち時間5分は、正直短すぎ!
自分の班ででた、いい意見はがんばって言おうとして、正直あせってしまいました。あれでよかったのかなぁ、
と思いつつ、長田先生、奥村先生お二方から感想をいただけたのは嬉しかったです。ここでは、ちょっと生意気なことを
言ってしまったのですが、せっかくの機会なので、ここで作ったプログラムをもとにそれぞれの学校で追試をして、
その情報を公開し合いませんか?
と提案してきました。どのくらい実現するのかは不明ですが、少しでも行われれば、
すごいことだと思いませんか?
 と、いうことですが、すいません、自分の発表で疲れ切り、講評をあまりまじめに聞いていませんでした(汗)
いくつか残っている話は、インプットとアウトプットの話、そして、ネットワークづくりの話、目標と評価の話です。
その中で、目に見えるものを言語化する能力を育てること、そして、子どもの姿が抜け落ちない評価をすること、
自己評価の充実が大切であろうという話
が印象的でした。



<研修全体を終えての感想>


 ここまで、流れと感じたことなどを入れて、研修について書いてきました。最後に、全体を終えての感想です。
鑑賞というものの重要性を認識したのはもちろん、こうした場を機会にできるであろうネットワークの大切さを感じました。
このHPを立ち上げたきっかけはいくつかありますが、やはり、内弁慶になってはいけない、外へ発信し、そして共有し、
また内にかえってくるということを、これからはどんどんやらなければならいと思ったからです。
 なぜか。
一番の理由は、各学校美術教師は1人が普通になってしまい、さらに学校5日制により、研修日数も確保が難しいため、
情報交換する場が減ってしまったこと。そして教師数が減ったということは、情報発信源も少なくなってしまったり、
同世代が少ないため、話す相手がますます減ってしまっているという現状があるからです。
 また、表現については、これまでの蓄積もあるのでよいのですが、鑑賞についてはなかなか手探りでやっている方も
多いのではないかと思います。だからこそ情報の共有は重要だと考えます。
 美術教育は、かつて無い危機を迎えていると言っても過言ではないでしょう。
そんな危機感を、みんなでつながることで乗り切っていきませんか?
(もちろんそれは、職が無くなるかも知れないと言う危機感ではなく、
美術の楽しさや素晴らしさを教える教科が無くなってしまうという危機感です。)
美術は、教育に必要なものをしっかりと持っている教科だと言うことを、どんどんアピールしませんか?

 この研修会が、全国を結ぶ大きなうねりとなることを願ってやみません。

最後までつたない文章をお読みいただき、ありがとうございました。
自分の感想も多いので、あまり真意は伝わらなかったかもしれませんが、お許しください。


2006・夏

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